三宅雪嶺は、誕生から14歳まで金沢に居住した。時代は、幕末の混乱から明治時代を迎え、文明開化を謳歌し始めていた。雪嶺は、この金沢時代に学問と出会い、親元を離れて学問と向き合うようになった。
その後、16歳で東京開成学校予科に入学し、東京大学文学部哲学科に進んだ。雪嶺は、教室よりも図書館での学問を好み、様々な書物を乱読した。また、新聞・雑誌への投稿を始め、言論人としての第一歩を印した。
大学を卒業して就職したものの、役所仕事に対する不満から辞職した。在野人としての雪嶺の活動がここに開始された。 |
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愛知英語学校時代の同級生との集合写真(雪嶺、前列左から2人目)(『報知新聞』北陸版「名士の少年時代」昭和4年10月9日付)
思想史全般に興味を持っていた雪嶺は、文部省編輯局に入局後、『日本仏教史』のみならず、『基督教小史』も編集した |